研究室紹介

研究室紹介

 微生物と聞いたら、皆さんどんなイメージを描くでしょう?目に見えない、食べ物を腐らす、病気のもとになる。あんまり良いイメージではないかもしれませんね。でも私たちの暮らしは微生物の力なしには成り立ちません。ヨーグルトや納豆、みそやしょうゆ、みりん、パンやお酒を造るのはみな微生物です。風邪をひいたとき、お医者さんが処方してくれる抗生物質も微生物が作り出すのです。私たちの研究室では、酵母菌という直径が1ミリの200分の1ほどの微生物を用いた研究を行っています。お酒造りに欠かせない酵母菌ですが、基礎研究においてとても重要な役割を果たしています。ヒトと同じ真核生物ですから、酵母菌で明らかになった仕組みは人間に応用できる可能性が高いのです。

1.酵母のアミノ酸・ペプチド輸送体の機能解析

 私たちが食べた肉や魚は、消化されてアミノ酸やペプチドになります。ヒトの小腸にはアミノ酸やペプチドを取り込む輸送体があり、これがないと栄養分を吸収することができません。酵母菌も細胞表面に多数の輸送体タンパク質を配備し、栄養の取り込みを行っています。その多くが細胞膜を12回貫通する複雑な構造を持った膜タンパク質です。ところが、どの輸送体がどのような仕組みで20種類あるアミノ酸を識別し、取り込んでいるのかよくわかっていません。私たちは主に、トリプトファン輸送体Tat1とTat2、ロイシン輸送体Bap2、およびペプチド輸送体Ptr2の機能を調べています。トリプトファンは最も大きなアミノ酸ですが、栄養素中にはごくわずかしか存在しません。したがって、輸送体であるTat1とTat2の機能は高度に特殊化しています。それらをコードする遺伝子にわずかな変異を加えることで、全く機能がなくなってしまうのです。一方、類似の変異をロイシン輸送体Bap2に導入しても、ロイシン取り込みにはあまり影響がありません。Ptr2はジペプチドとトリペプチドを取り込むことができるのですが、それより小さなアミノ酸を取り込むことはできません。大きい分子を取り込めるのに小さいものは取り込めない。Ptr2が細胞膜上の単なる穴ではないことがうかがえます。どの輸送体も基質の取り込みには細胞膜を介したpH勾配が必要です。つまり細胞外は酸性でなければいけないのです。こうした輸送体をプロトン/アミノ酸シンポーターと呼びます。酵母が酸性環境を好む理由の一つがここにあります。私たちは現在、プロトンがどのようにして輸送体を駆動し、アミノ酸やペプチドの細胞内への取り込みを促しているのかを研究しています。

2.酵母のアミノ酸・ペプチド輸送体の分解制御

 輸送体をコードする遺伝子が転写され、小胞体でタンパク質となると、それらはゴルジ体を経てやがて細胞膜に運ばれます。ところが私たちの身の回りにあるスマホや洋服と同様、酵母の輸送体も使っているうちにだんだんと品質が低下していきます。真核生物では、細胞内で品質が低下し不要になったタンパク質をユビキチン化という仕組みで分解します。これが機能しないと異常タンパク質が蓄積し、ヒトではガンや神経疾患、細胞死に至る場合があります。酵母のアミノ酸・ペプチド輸送体もユビキチン化の管理下にあるのです。発酵生産に欠かせない酵母ですが、醸造過程では様々なストレスにさらされます。私たちは、酵母を高水圧や低温にさらしたり、高濃度のアルコールやいくつかの化学物質を添加したとき、アミノ酸やペプチドの輸送体がユビキチン依存的に分解されることを見いだしました。ユビキチン化を担うのは、Rsp5ユビキチンリガーゼという酵素です。この酵素は様々なタンパク質にユビキチンを共有結合させます。ユビキチン化されたタンパク質は、液胞やプロテアソームという分解工場に運ばれ、アミノ酸や短いペプチドに分解されます。しかし、Rsp5はどのようにして品質が低下した輸送体を識別しているのか?また、一つのユビキチンリガーゼが、どのようにして複数の分解基質を認識しているのか?といった問題は未解明です。

3.酵母をモデルとした高水圧適応メカニズムの解明

 私たちは大気下で生活しているので、ふだんあまり“圧力”を意識することはないでしょう。酵素の至適温度は聞きますが、至適圧力というのはあまり聞きません。しかし、案外身の回りは圧力に満ちています。血圧や脳圧はとても小さな圧力ですが、跳んだり走ったりするときに膝にかかる圧力は200気圧に達します。動物の培養細胞を高圧にさらすとやコラーゲンの発現が誘導され、さらに圧力が高くなるとアポトーシスを起こします。植物の細胞壁には膨圧がかかっています。深海の好圧性細菌(piezophile)は高圧を好むバクテリアで、圧力応答する遺伝子を発現しています。細胞という複雑なシステムに圧力をかけると、いったい中でどんな反応が起こるのでしょうか?圧力という物理的ストレスに細胞はどのように応答しているのでしょう?こうした疑問がこの分野の研究者たちを駆り立てています。

 私たちの研究室では、250気圧の高水圧下(水深2500 mに相当)でも増殖できる酵母を用いて、ある遺伝子を欠損すると高圧下で増殖できなくなる変異株を多数得ています。それらの中にはトリプトファンの合成を担うものが含まれています。つまり、遺伝子欠損のため自らトリプトファンを作れなくなり、外からこれを取り込まなければ生きられない変異株です。前述したトリプトファン輸送体の機能は高水圧によって容易に損なわれるのです。深海生物は機能が強化されたトリプトファン輸送体を持っているのかもしれません。一方、栄養源センサーと考えられているタンパク質複合体や、小胞体膜に局在する未知のタンパク質にも、高水圧下で生きるための重要な働きがあることがわかってきました。“圧力”という物理化学的な因子に微生物がどのように反応し適応しているのか、深海生物との共通点の多い酵母の果たす役割は大きいです。私たちはこうした取り組みを“圧力生理学 (Piezophysiology)”と称して研究を行っています。